南北朝時代に 十市家より分家し、河合城を築いた河合民部少輔中原遠正が(延元元)1336年8月28日に兄の十市城主・十市新次郎入道(十市遠康の父)と共に雑兵500人を引き連れ後醍醐天皇を吉野行宮へ奉送した際に粟田口藤三郎国安を下賜された。
国安は粟田口国家の六兄弟の三男で82代後鳥羽上皇の御番鍛冶として活躍。武士による政治ではなく、王政復古を目指した後鳥羽上皇は、北条氏追討のために北面・西面の武士制度を設けて武士を集め、倒幕の士気を高めるために、全国から刀鍛冶の名匠を京都へ呼び寄せ、月番を決めてそれらの名匠に太刀を打たせました。(御番鍛冶制度)
自らも後鳥羽上皇は(元暦二)1185年の壇ノ浦の戦いで三種の神器の草薙の剣(天叢雲剣)を滅失されたことにたいそう胸を痛まれ憂いられて、日本刀への執念と責任をお感じになりご自身で鍛刀され、自らの鍛えこんだ御刀に銘を入れずに16葉菊紋(天皇家御紋)を彫られたので、菊御作と呼ばれています。
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Tochiagatanushi clan Preservation
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