樂樂福神社

樂樂福神社 若宮
樂樂福神社 若宮

樂樂福神社の近隣に崩御山があり、孝霊天皇行幸伝説では皇后の陵墓とされる。
写真の若宮神社は「稚武彦命わかたけひこのみこと磯城県主大目命しきのあがたぬしおおめのみこと蝿伊呂杼命はえいろどのみこと」を祭っている。
七代 孝霊天皇と十市県主家とは所縁が深く、細媛命が第八代孝元天皇こうげんてんのうをもうけ、第三代安寧天皇第三子磯城津彦命の孫で皇妃の倭国香媛やまとくにかひめが邪馬台国の卑弥呼や桃太郎に推定される倭迹迹日百襲姫命やまとももそひめのみこと吉備津彦命きびつひこのみことをもうけている。なお、孝元天皇の第1皇子で、四道将軍である大彦命おおびこのみこと武渟川別命たけぬなかわわけのみことも同族である。日本武尊(ヤマトタケル)の母である播磨稲日大郎姫はりまのいなびのおおいらつめは磯城津彦命と孝霊天皇の血を受け継いでいる。