旧制畝傍中学の後輩である檀家総代の吉村徳久さんや檀家でもある細川佳秀橿原市議ら檀家の方々と何度も称念寺の修復について称念寺本堂や上本町ハイハイタウンにある父の事務所において、幾度となく協議を重ねました。
父は、将来のことも考慮して、各檀家に負担がかからないように熟慮し、称念寺を重要文化財にして修復する案を提示しました。
寺院としては、建立年代も新しい称念寺が重要文化財の指定が受け入れられるなど誰もが不可能だと思っていました。
懇意にしていた環境省事務次官だった船後正道氏の力添えと田野瀬良太郎衆議院議員と東京大学渡邉定夫名誉教授が苦慮を重ねて奔走した結果、ようやく文化庁から本堂前の墓を移す事を条件に称念寺本堂を重要文化財の指定を受けさせることに成功させました。
それと並行して、本堂の文化財修理工事の際に本堂の前に瓦や材木の置き場を確保すべく中学の同級生である藤井株式会社(メリヤス工場)の土地を橿原市に買い上げさせて確保し各自檀家の墓地を移動させて残りの土地を橿原市立今井保育園と旧南口門を復元もすることができました。
また、周辺の住民の安全を考慮して屋根を仮説して足場の上でトラスを組んで総修復費20億円前後掛かるというとてつもない費用が見積もられましたが、2002年に重文指定を受けることが出来たことで住職と檀家の負担金は軽減され、一気に現実化しました。
2010年(平成22年)4月から称念寺の解体修理に入り、2019年(平成31年)12月に完成予定となっていましたが、本日落慶法要を迎えられたことは、誠に感慨深く感謝感激に絶えませんでした。
この美しく再興された本堂の中、内から湧き出る情熱で本堂を救おうという利他の力が一つになって成し遂げられたと感じました。まさに、これこそ他力本願だと!
祝辞で細川佳秀橿原市議長が涙ぐんで父に対してねぎらいの言葉をたむけていただいたことは、うれしく感動しました。田野瀬良太郎衆議院議員の秘書を当時しておられて取り次ぎなどで事情に詳しい亀田忠彦橿原市長ももらい泣きしそうになったと仰っておられました。
そして、何より彼の世で父が「良かったなぁ」と微笑んでいる事だろうと察せられました。