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孝霊天皇の御代、富士山が 噴火し、富士山がはじめて姿を現したという。 平成最後の山の日に富士山御来光を望む事が出来ました。 孝霊天皇が念願のハラミヤマ登山を行幸された折に、田子の浦人(たごのうらびと)が孝霊天皇に藤の花を捧げ、新しい山の名を織り込んだ秀歌を詠まれました。
幕末になると、いろいろな名目で金銀の取立てや重税により今井町は衰退に向かい、明治維新によって富豪は消滅した。 しかし依然、今井町は南大和の中心地であり、明治初年には奈良県出張所が置かれた。奈良県再設置問題がおこった時もその庁舎の位置について現在の奈良市を外し、今井町に設置しようとする有力な動きがあったが、実現しなかった。 また、明治時代の鉄道開通の際、今井町の市中取り締まりの任にあった今西正巌逸郎が近隣に持ち上がった鉄道駅建設計画に反対したことから、むしろ都市化を免れることができ、町の保存に貢献できたと言えます。 隣町の八木町で設置されて畝傍駅として開業しました。 奈良県下の鉄道は明治23年に奈良~大阪間が開通し、明治26年に王寺~桜井間が通じました。 天皇家の畝傍御陵参拝のためにつくられました。